movie『ロレンツィオのオイル』
2003年7月5日最近ビデオ見てなかったんだけど、映画好き仲間の友人から借りてた『ロレンツィオのオイル』を見た。
主演の母親役、スーザン・サランドンは『デッドマンウォーキング』でもすばらしい演技で(アカデミー賞<1995年>第68回 主演女優賞をとってるくらい)好きな女優さんの一人です。
最近の出演は『ムーンライトマイル』にこれまた、私が大好きなダスティン・ホフマンと出てるみたい。これも見たいな〜
ホントあの大人の色気なんなんでしょう。
あんな女性になりたいよ…
と、スーザン・サランドンの話が長くなったけども本題の『ロレンツィオのオイル』に戻ります。
この話は突然体の自由がきかなくなってしまった一人息子のために、両親は治療法を求め昼夜を問わずに研究する。題にある「ロレンツォのオイル」とは、医学知識のない夫婦が難病にかかった息子を救うために、必死の努力の末作り出した薬の名前。その誕生までの実話をジョージ・ミラーが映画化したのだ。
まず実話って所で私は好きなジャンルなんだけれども、それにしてもこの映画は医学・命・そして親の愛情の深さなど、色々な所で考えさせられる映画でした。
私自身は健康で、とくに大きな病気をしたこともなくスクスクと育って今に至るわけだけど、それってホント奇跡みたいなことなのかもしれない。
もしかしたら、明日重病が発見されて死の宣告を受けることだってないとは限らないし、今日交通事故で死んでしまうかもしれない。
人間明日どうなっているかなんて誰もわからないから、生きていけるのかもしれない。
でもロレンツォは、長くてもあと2年の命と診断された。
今までは何の病気もなく、元気に走り回っていた男の子が、ほんの数ヶ月で歩けなくなり、話せなくなり、自分で唾液を飲み込むことすら出来なくなってしまう。しかも、治療法はない。
自分が親なら、一体どんな気分だろう。そして私がロレンツォ自身なら…
ロレンツォ役を演じたザック・オマリー・グリーンバーグの演技力もすごかった。でもあれが演技ではなく実際に目の前の現実として現れたとき、私はロレンツォの両親のようには行動する自信がない。
重病人のケアをし、本を読み聞かせ、幼いわが子が苦痛に苦しむ姿を見て、それでもわずかな可能性を信じて1から医学書や生物学などの本を読みあさり、自分たちで治療法をみつけようと必死になる。
その姿には、圧倒されてしまう。
親の愛情というものは、それほど深いものなのだろうか。
私自身、将来子供を産むことがあるかもしれない。
しかしどんな子供が生まれてくるかなんて、誰にもわからない。
最初は五体満足ならいいと思い、そのうち勉強も、スポーツもできる子に育ってほしい。素直でやさしく元気な子になってほしい。
そんな風にどんどん期待しゆくのだろう。
子供を産むということは、その子の将来が幸せになることを願い、そして誰にも負けない愛情を注ぐことなのだろう。
それはどんな子供だとしても…
たとえ障害があっても、頭が悪くても、顔が少々ブサイクだって、ちょっと悪さをしても、私は全部を受け止め、愛することができるようになるのだろうか。
親になるということは、強くならなくてはダメなのかもしれない。
なんだか、久々に真面目に語ってしまった…
でも、映画や本を読んだり、すばらしい絵画や建築物をみて感動したり、友達とくだらないことを語り合ったり。
そんな何気ない日常をもっと大切にするべきなのかもしれない。
主演の母親役、スーザン・サランドンは『デッドマンウォーキング』でもすばらしい演技で(アカデミー賞<1995年>第68回 主演女優賞をとってるくらい)好きな女優さんの一人です。
最近の出演は『ムーンライトマイル』にこれまた、私が大好きなダスティン・ホフマンと出てるみたい。これも見たいな〜
ホントあの大人の色気なんなんでしょう。
あんな女性になりたいよ…
と、スーザン・サランドンの話が長くなったけども本題の『ロレンツィオのオイル』に戻ります。
この話は突然体の自由がきかなくなってしまった一人息子のために、両親は治療法を求め昼夜を問わずに研究する。題にある「ロレンツォのオイル」とは、医学知識のない夫婦が難病にかかった息子を救うために、必死の努力の末作り出した薬の名前。その誕生までの実話をジョージ・ミラーが映画化したのだ。
まず実話って所で私は好きなジャンルなんだけれども、それにしてもこの映画は医学・命・そして親の愛情の深さなど、色々な所で考えさせられる映画でした。
私自身は健康で、とくに大きな病気をしたこともなくスクスクと育って今に至るわけだけど、それってホント奇跡みたいなことなのかもしれない。
もしかしたら、明日重病が発見されて死の宣告を受けることだってないとは限らないし、今日交通事故で死んでしまうかもしれない。
人間明日どうなっているかなんて誰もわからないから、生きていけるのかもしれない。
でもロレンツォは、長くてもあと2年の命と診断された。
今までは何の病気もなく、元気に走り回っていた男の子が、ほんの数ヶ月で歩けなくなり、話せなくなり、自分で唾液を飲み込むことすら出来なくなってしまう。しかも、治療法はない。
自分が親なら、一体どんな気分だろう。そして私がロレンツォ自身なら…
ロレンツォ役を演じたザック・オマリー・グリーンバーグの演技力もすごかった。でもあれが演技ではなく実際に目の前の現実として現れたとき、私はロレンツォの両親のようには行動する自信がない。
重病人のケアをし、本を読み聞かせ、幼いわが子が苦痛に苦しむ姿を見て、それでもわずかな可能性を信じて1から医学書や生物学などの本を読みあさり、自分たちで治療法をみつけようと必死になる。
その姿には、圧倒されてしまう。
親の愛情というものは、それほど深いものなのだろうか。
私自身、将来子供を産むことがあるかもしれない。
しかしどんな子供が生まれてくるかなんて、誰にもわからない。
最初は五体満足ならいいと思い、そのうち勉強も、スポーツもできる子に育ってほしい。素直でやさしく元気な子になってほしい。
そんな風にどんどん期待しゆくのだろう。
子供を産むということは、その子の将来が幸せになることを願い、そして誰にも負けない愛情を注ぐことなのだろう。
それはどんな子供だとしても…
たとえ障害があっても、頭が悪くても、顔が少々ブサイクだって、ちょっと悪さをしても、私は全部を受け止め、愛することができるようになるのだろうか。
親になるということは、強くならなくてはダメなのかもしれない。
なんだか、久々に真面目に語ってしまった…
でも、映画や本を読んだり、すばらしい絵画や建築物をみて感動したり、友達とくだらないことを語り合ったり。
そんな何気ない日常をもっと大切にするべきなのかもしれない。
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